TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(2019年3月9日「命を慈しむ詩人」)
(2019年3月23日「昇降機ガール」)→

2019年3月16日「将軍の目安箱」

江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が推し進めた亨保の改革。その政策の一つに目安箱の設置があります。
これは江戸の庶民が直接、将軍の吉宗に願い事を書く投書箱。投書が入った目安箱は鍵をかけたまま吉宗のもとへ運ばれ、吉宗の前で鍵を開け、吉宗自ら投書を読むのです。
この投書から生まれたのが、小石川薬園内の養生所や荒れ地の開墾。役人の年貢の取り立て過ぎや不正も暴き立てられました。
現代風にいえば徳川将軍と庶民とのホットライン。しかし投書は無記名ではなく住所と名前を書いた上での将軍への訴えなので、相当の勇気が必要でした。

あるとき、目安箱の中に山内幸内という浪人からの投書がありました。
そこに書かれていたのは「将軍が贅沢を禁じ倹約を勧める経済政策を行ったのは間違い。お金は天下に使って回すべし」といった内容。吉宗をダイレクトに批判したのです。
庶民が将軍を批判することは当時としては切腹か打ち首です。
果たして山内幸内は江戸城に呼びつけられました。
しかしそこで吉宗は、処罰も恐れず堂々と自分の意見を述べた山内の勇気を誉め讃えて、褒美まで与えたのです。

名君と呼ばれた吉宗の言葉が残っています。
「このような者を無礼であると罰すれば、世の中は物を言わなくなってしまう。それこそが幕府にとって大きな損失なのである」