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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2018年9月8日「言葉の海」

この国で普通に使われている言葉を集め、説明し尽くす...日本で最初の国語辞典を作ることを命ぜられたのは、当時の文部省に勤めていた大槻文彦。
明治8年のことです。

大槻が抜擢されたのは、彼の祖父が蘭学者、父が儒学者、そして彼自身が英語を修めていたことで、辞書作りに必要な和漢洋の知識が期待されてのことでした。
しかし担当になったのは彼一人。
大槻がたった一人で辞書作りをすることになったのです。

ありとあらゆる学術書を漁り、一語ずつ言葉を採取していく。
街中で耳にした言葉を手帳に書きとめる。
専門家をつかまえて質問攻めにする。
地方の方言を調べるために遠出をする。
こうした地道な努力を来る日も来る日も続け、17年の歳月を費やしたのです。

そして原稿の最終チェックが50音順の「や」行になったとき、大槻を思わぬ悲劇が襲います。
最愛の娘が病死してしまい、その一か月後、今度は妻が腸チフスで亡くなってしまうのです。
そのとき、大槻は「ら」行の或る言葉をチェックしていました。
それは「露命」...「露のいのち、はかなきいのち」と大槻が説明した言葉です。

明治22年、日本で最初の国語辞典が刊行されました。
その辞典の名前は、言葉の海という意味の「言海」。
大槻は広い広い言葉の海をたった独りでもがき苦しみながら17年間泳ぎ切ったのです。