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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2018年2月3日「万次郎の父」

1851年のきょう2月3日、25歳の青年が10年ぶりに日本に帰ってきました。
彼の名はジョン万次郎。
漁師の万次郎少年が乗った漁船が難破して漂流しているところを米国の捕鯨船に助けられ、そのまま米国に渡って教育を受けた彼は、この日に幕末の日本に帰国し、やがて幕府の直参となって日本の開国と近代化に大きく貢献します。

万次郎の命を救った米国の捕鯨船。
その船長ホイットフィールドは明るく利発な万次郎少年に心を奪われ、そのまま万次郎をマサチューセッツの自宅に養子として迎え入れます。
そして学校へ通わせ、英語や数学、航海術、造船技術などを学ばせました。
万次郎の成長ぶりはホイットフィールドにとって大きな誇りで、その期待に応えて万次郎は寝る間を惜しんで勉強し、学校を首席で卒業した後、一等航海士になりました。

10年後、万次郎は日本へ帰国しますが、明治になって万次郎が日本政府を代表して外交のためニューヨークを訪問した際には、父と慕うホイットフィールドに会うために数日かけて旅をしました。
二人が一緒に過ごしたのはたった一晩でしたが、その夜は二人とも一睡もしないで語り合ったそうです。

そしてこれが最後のお別れとなってしまうのですが、二人の絆は世代を超え、万次郎とホイットフィールド両家のそれぞれの子孫の交流がいまも連綿と続いています。