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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2017年9月30日「大三島のサツマイモ」

実りの秋が訪れていますが、この時季に収穫期を迎えるサツマイモは、江戸時代に中国から琉球を経て薩摩藩に伝えられ日本各地に広まりました。
しかし、実は薩摩藩は芋の持ち出しを固く禁じていたと言われます。
それを密かに持ち出したのが下見吉十郎秀譽(あさみ・きちじゅうろう・ひでたか)でした。

瀬戸内海に浮かぶ大三島に生まれ育った吉十郎は、我が子を相次いで亡くす不幸に見舞われ、冥福を祈って諸国巡礼の旅に出ます。
その旅の途中、薩摩の農家で振る舞われたサツマイモが痩せた土地でも容易に栽培できることを知って、農家の主人に涙ながらに懇願して種芋を譲り受けると、一説には仏像に穴を開けて種芋を隠し、命がけで持ち出しますが、このとき吉十郎は「公益を計るがために国禁を破るが如きは決して恐るるに足らず」と決意したといわれます。
そして大三島に持ち帰って栽培に成功すると、島の人々に配って栽培法も伝授し、サツマイモの普及に努めたのでした。

その後に起きたのが100万人近い餓死者を出したと言われる享保の大飢饉ですが、大三島や周辺の島々では一人の餓死者も出さずに乗り越えたのです。

多くの命を救った吉十郎の功績を称えて、大三島の甘藷地蔵(いもじぞう)を始め、島々には何体ものお地蔵様が建立され大切に受け継がれています。