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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2017年8月12日「日本に行きたかったエジソン」

世界の発明王と呼ばれるトーマス・エジソン。
エジソンは一度も日本を訪れたことはないのですが、日本の文化や風習に対して深い理解を示していました。
そのきっかけになったのが、エジソンの研究所で6年間働いた一人の日本人青年の存在です。

彼の名は岡部芳郎(おかべよしろう)。
山口県の商船学校で航海士として勉強していましたが、明治39年、太平洋での実習航海中に体調を崩してニューヨークで下船。そのまま米国に残ることになり、エジソンの研究所に身を寄せたのです。
岡部はエジソンの助手として蓄音機の改良をはじめ、実験機械の設計や製図、電池自動車のモーターの研究などに取り組みました。
その熱心で真面目な仕事ぶりをエジソンは大いに気に入り、仕事だけではなく家にも招いて公私にわたる交流をしています。

エジソンは岡部についてこんな言葉を残しています。
「私の子供たちはしょっちゅう私の周りから金品を勝手に持ち出していくが、この日本の青年はテーブルの上にお金が置いてあっても手をつけることなどまったくない。彼は誠実さと強さ、そして優しさを持っている誇るべき日本人だった」

エジソンは84歳で亡くなるまで研究一筋で、それ以外のことには興味を示しませんでしたが、晩年 愛読していたのは、新渡戸稲造の『武士道』など日本の書籍だったそうです。