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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2017年3月5日「ミスコン始末記」

きょう、3月5日は「ミスコンの日」。明治41年のこの日に日本で初めてミス・コンテストが行われました。

日本初のミスコンは、米国の新聞社の依頼で日本の新聞社・時事新報が主催した「ミス・ワールド・コンテスト」の日本予選。
全国に応募を呼びかけると7000名の写真が集まりました。
審査はこの写真選考のみで、彫刻家の高村光雲など、芸術・芸能分野の著名人13名が審査にあたりました。

その結果、ミス日本に選ばれたのは16歳の女学生、末広ヒロ子さん。
彼女の写真が時事新報を通じて全国に、米国の新聞でも紹介されました。
一躍時の人となったヒロ子さんですが、彼女自身は困惑するばかり。
じつはコンテストに応募したのは彼女ではなく、写真館を経営していた義理の兄が勝手に応募したのです。
さらに、コンテストのことを知った学校が「校風に添わない、端たないことをした」と、彼女を退学処分にしました。
すると今度は時事新報が「端たないとは何事か」と新聞2ページを費やして学校を非難。ほかの新聞社も追随して全国で彼女の退学処分が論じられていったのです。

この騒ぎにほとほと困惑した張本人のヒロ子さんは、コンテストの半年後に婚約者と結婚。
ミセスとなったことでミス・ワールド日本代表の資格を失い、騒ぎから離れることができたのです。