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提供:創価学会
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2017年2月26日「立花家の礎 誾千代」

今年は柳川藩初代藩主、立花宗茂(たちばなむねしげ)の生誕450年にあたりますが、柳川が雛祭りで賑わう今、宗茂の正室で、戦国時代を果敢に生きた女性、誾千代(ぎんちよ)に思いを馳せてみたいと思います。

誾千代は、九州の有力大名大友氏の重臣で猛将として名高い立花道雪(どうせつ)の一人娘として生まれました。
後継ぎの男子がいない道雪に大友氏は養子を迎えるよう強く勧めますが、道雪は受け入れず、誾千代を後継ぎとして大友氏の安堵を受け、立花城の城督の座を正式に相続させています。
わずか七歳のときに、誾千代は博多を見渡す立花山の立花城の城主となったのです。
当時、大変稀なことで、道雪は幼い誾千代に男子に勝るものを見出していたのかもしれません。

その後、誾千代の婿養子として迎えられたのが宗茂で、豊臣秀吉から徳川家康と天下人が移り変わる激動の時代を、誾千代は夫を支えて奮闘。
宗茂が戦で不在のときは、甲冑姿で侍女達を率いて城を守ったといわれ、関ヶ原の戦いで宗茂が西軍に与すると、攻め寄せる東軍側の軍勢に鉄砲隊を構えて反撃するなど、果敢に戦い立花家を守り抜いています。

淑やかな十二単姿の肖像画も伝わる誾千代ですが、姫君という雛壇から飛び立ち見事に生きた生涯でした。