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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年12月4日「ヒヨコの産みの親」

幕末の日本に北海道へ渡って独立国を作ろうと夢見た、榎本武揚。
幕府海軍の艦隊を率いて函館の五稜郭を占領し、新政府軍を相手に函館戦争に臨みますが、あえなく破れて降伏。
投獄されますが後に恩赦で釈放され、今度は明治政府で働き外務大臣などを歴任します。

榎本の履歴を見ると軍人、政治家という印象が強いのですが、その裏の顔はじつは科学者だったのです。
幕末の留学生として西欧へ渡り、さまざまな西洋の科学に触れて得た学識にさらに磨きをかけたのが、投獄された数年間。
有り余る時間を使って多くの洋書を読みあさり、さまざまな技術を勉強します。

後に、石けんや西洋ろうそく、焼酎、チョーク、硫酸などの製法を研究しますが、とりわけ熱心だったのが、鶏の卵を人工的にかえす孵卵器の開発です。
自分で鶏を飼いながら、器具を使って卵をかえす実験に明け暮れ、その結果に一喜一憂し、箱根温泉の熱を利用すれば、ただ同然で何百個の卵をかえすことができるという設計図を考案。
知り合いにその事業を勧めたりもしています。

晩年には、養鶏家で組織する日本家禽協会の初代会長をも務めた榎本。
日本で本格的に孵卵器が普及したのは大正時代になってからですが、幕末を命がけで戦った榎本は、そのヒヨコの産みの親だったのです。