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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年10月30日「松寿丸の銀杏」

今年も紅葉の季節迎えていますが、岐阜県垂井町の樹齢400年という銀杏の大木は、かつてこの地を治めた竹中家と、福岡藩主黒田家の長い絆の歴史を伝えています。

福岡藩初代藩主、黒田長政が松寿丸と呼ばれた幼い頃、織田信長は父親の官兵衛が寝返ったと思い込み松寿丸の処刑を命じますが、このとき官兵衛の無実を信じる竹中半兵衛が命がけで松寿丸を匿い命を助けたのです。
その後、疑いが晴れ、松寿丸が生かされていたことが明らかとなって、黒田家は喜びに沸き返ります。
竹中家を去るとき、松寿丸が感謝と共に植えたと伝わるのが銀杏でした。

両家の絆はその後も続きます。
垂井町に隣り合う関ケ原町は関ヶ原の戦いの戦場となりましたが、松寿丸こと長政は、匿われていたとき幼なじみとなった半兵衛の息子、重門と並んで陣を敷いています。
実は重門は西軍に与していましたが、長政が説得して東軍に引き入れ共に戦ったのです。
それは長政の恩返しだったのではないでしょうか。

両家の絆は長く続き、その歴史を見守り続けた銀杏は「松寿丸の銀杏」と呼ばれて地元の人々に大切にされていましたが、今年2月、衰弱が激しくついに切断されたのです。
しかし、根元から若木が育ち、絆の歴史を次の時代に伝えようとしています。