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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年8月14日「エリセーエフの伝説」

明治時代から日本を研究し、日本文化を海外へ紹介することに尽くしたのが、日本学の始祖と呼ばれるセルゲイ・エリセーエフです。
ロシアの貴族の生まれで、11歳のときにパリ万博で日本館を見てジャポニスムに魅了。明治41年に日本に留学し、東京大学を卒業した初のヨーロッパ人となります。

日本史を隅から隅まで学び、古事記から夏目漱石まで日本文学の深い知識を得たエリセーエフは日本で12年暮らしましたが、母国でロシア革命が勃発。
家族でフィンランドへ亡命し、その後フランス、さらに米国へと渡る亡命生活が続きます。
しかしその間にも、ソルボンヌ大学やハーバード大学で日本文化の教鞭を執り、後に駐日大使を務めたライシャワーやドナルド・キーンを育てています。

そんなエリセーエフに対して語り継がれているひとつの伝説があります。
それは第二次世界大戦中、米軍の上層部に日本の京都を爆撃しないように進言したというものです。
実際に京都は空襲を受けなかったのは事実。
果たしてそれがエリセーエフの進言によるものなのか。

晩年、彼の娘がその真偽を尋ねましたが、エリセーエフはそれに答える代わりにこう呟いたそうです。
「京都は確かに爆撃を免れたが、その分だけ他の町が焼き払われ、大量の死者が出たのだよ」

8月15日―明日は終戦記念日です。