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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2016年2月28日「絆は30年の時を超えて」

昭和58年6月、アメリカ人宇宙飛行士で日系三世のエリソン・オニヅカ氏が福岡県浮羽町を訪れました。

NASAの記念行事で来日したのを機に、明治時代にハワイに移住した祖父母のふる里を訪ね、先祖の墓参りをしたいというオニヅカ氏を新聞社が紹介したところ、多くの人の協力で浮羽町に鬼塚家のお墓があることが判明。
オニヅカ氏は、宇宙飛行士への夢を支えてくれた母親と妻や娘を伴いお墓参りをすると、浮羽中学校で講演を行い、
「夢に向かって努力しよう。夢はきっと実現できる」
と呼びかけ、生徒達から握手攻めになるなど大歓迎を受けたのでした。

ところが3年後、スペースシャトル・チャレンジャー号で飛び立ったオニヅカ氏が爆発事故で亡くなるという悲劇がおこります。
それは浮羽の人々の心に、オニヅカ氏との出会いをより深く刻むこととなりました。

没後30年の先月28日、浮羽町では多くの人々が参列して慰霊祭が行われ、あの中学校の講演会のとき、生徒会副会長だった弥吉京子さんが心のこもった追悼の言葉を述べるなど、温かい慰霊の会となりました。

そんな浮羽に、ケネディ駐日アメリカ大使から慰霊祭へのお礼状が届けられたのです。オニヅカ氏が結んだ絆は今も人々の心に生き続け、新たな出会いを育んでいます。