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提供:創価学会
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2016年2月21日「新聞ことはじめ」

明治5年のきょう2月21日、日本初の日刊新聞「東京日日新聞」が東京で創刊されました。
この新聞で主筆を務めて社説を書いていたのが、福地源一郎です。

幕末の長崎に生まれ、蘭学を勉強して通訳をしていた彼は、いつも出島にいるオランダ商館長がなぜ世界情勢を知っているのか不思議に思っていました。
そして西洋には国内外の情報を知らせる新聞という印刷物があり、それを商館長も読んでいることを知ります。
そのとき手に入れたのがオランダの古新聞。
福地と新聞の初めての出会いです。

その後、通訳としてヨーロッパ使節団に随行し、ロンドンで新聞社を訪ねます。 そこで新聞記者が政府批判の記事を書いている姿を目の当たりにし、いずれ自分も記者になって思う存分書きたいと思うようになるのです。

じつは東京日日新聞以前に、福地は明治元年に一人で新聞を発行しています。 その中で「政権はただ幕府から薩長に移動したにすぎない。これで維新の目的は果たされたといえるのか」と述べました。
しかしこれが新政府の怒りを買い、新聞は発禁処分。
そんなこともあり、捲土重来の思いを胸に東京日日新聞に入社したのです。

彼は社説の中で「社会」という言葉を「ソサエチー」という振仮名付きで掲載。「社会」は福地源一郎が作った日本語です。