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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/14「密航の代償」

幕末・元治元年のきょう6月14日夜、北海道は函館の港から一人の若者が小舟を漕いで、沖に停泊している外国船に向かいました。
彼の名は新島敬幹(けいかん)。
後に同志社を創立した明治の教育者・新島襄(じょう)です。
まだ22歳の若き新島はアメリカ合衆国の自由と民主主義に憧れ、留学するために密航を企てたのでした。

同じ時代に密航を企てたもう一人の若者がいます。
それは吉田松陰。が、彼は乗り込んだ外国船の船長から乗船を拒否され、国禁を犯した廉で投獄されてしまいます。

一方、新島が向かったアメリカの商船ベルリン号では、船長のウィリアム・セイヴォリーが小舟を漕いで来た新島に、役人から見えないよう船の反対側から乗り込むように指示し、命をかけて密航した新島を快く受け入れたのでした。

セイヴォリー船長は新島をキャビンに招き入れ、アメリカに上陸しても困らないようにと、航海の間ずっと英語を教え込みました。
この親切な計らいで新島は1年後にアメリカに留学することができたのですが、
セイヴォリー船長は日本人の脱国を手助けしたことで解雇され、船長の職を失ってしまいます。
しかし彼は新島を恨むことはなく、後にアメリカで新島に再会して旧交を温めたときも、そのことには一切ふれなかったそうです。