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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/7「ベンチの中の人道的プレイ」

日本の卓球が世界の強豪となったのは、戦後に初出場した世界選手権でした。
このとき男子シングルとダブルス、女子ダブルスと団体の4種目で優勝。
しかし、当時の日本選手達は相手の選手以外とも戦わなくてはなりませんでした。それは日本に対する欧米の観客達の憎しみ。
太平洋戦争で日本から大きな被害を受けたことから反日感情が強く、試合会場でのブーイングや審判の不平が目立ったのです。

1955年の世界選手権オランダ大会。
日本とハンガリーの男子団体戦で、前後左右に揺さぶる凄まじいラリー戦になります。
ハンガリー側はセペシ選手。小児まひで右手の自由が利かない障害を乗り越えて国内チャンピオンになったサウスポーです。
そのセペシが、ラリーで日本選手のスマッシュに押され、日本ベンチのフェンスまで下がり、勢い余ってベンチの内側に仰向けに転倒。
その瞬間、ベンチ内にいた日本選手たちは身をよけるのではなく、床に身を投げ出してクッションとなったのです。
「右手が動かないセペシはバランスが取れずに頭から床に落ちる」と咄嗟に判断した日本選手達が反射的にとった行動でした。

フェアプレイならぬ、ベンチの中の人道的プレイ。
この小さな出来事を境に、観客たちは日本選手の好プレイにフェアな拍手を送るようになったのです。