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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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5/10「最後のキャッチボール」

昭和20年5月10日、鹿児島県鹿屋市の小学校の校庭でキャッチボールをしている若者の姿がありました。
24歳の石丸進一。プロ野球の選手です。

佐賀出身の石丸は佐賀商業高校の野球部でピッチャーとして活躍し、現在の中日ドラゴンズの前身「名古屋軍」に入団。昭和17年春の初登板で完封勝利を収めてデビューを飾ります。
彼は持ち前の豪速球と針の穴を通すほどの抜群の制球力ですぐにエースとして君臨。翌18年にはノーヒットノーランを達成し、20勝12敗・防御率1.15を記録しています。
しかしエースとはいえ、彼はスター選手の華やかさとは無縁の朴訥な性格と質素な暮らしぶり。登板しない日は野手でいいから試合に出してくれと監督に頼んだり、試合のないときは近所の子ども達を集めて草野球をしたり。とにかく野球が好きで好きでたまらない青年だったのです。

そんな石丸が昭和20年5月10日、鹿児島の鹿屋でキャッチボールをしていました。
10球ほど投げたところで彼は「よーし、これで思い残すことはない」と晴れやかな笑顔でボールを置きました。
そして翌日、彼は鹿屋の飛行場から南の空に飛び立って行ったのです。

現在、東京ドームの入り口そばに太平洋戦争で亡くなったプロ野球選手67人の慰霊碑がありますが、その中で神風特攻隊員として亡くなったのは、石丸進一ただ一人です。