TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(4/26「平成の花咲かじいさん」)
(5/10「最後のキャッチボール」)→

5/3「安息の日本暮らし」

昭和8年のきょう5月3日、ウラジオストクから敦賀港に到着した客船から一組の夫婦が日本の土を踏みました。
ドイツの建築家ブルーノ・タウトと、その妻エリカ夫人です。
タウトは表現主義の建築で国際的な脚光を浴びた巨匠ですが、ナチスに迫害されて亡命し日本にたどり着いたのです。

二人は群馬県の八幡村で暮らしています。
そこで日課としていたのが散歩。農家の家々に立ち寄り、大黒柱を触ったり天井裏の棟木を覗いたりして建築家としての好奇心を発揮していました。
村人達も「タウトさん」「エリカさん」と親しく声をかけ、夫妻が立ち寄るとお茶を勧めるなど、その気さくなもてなしは国を追われたタウトの胸に深く染みました。

散歩に村の子供達が物珍しい外国人見たさからぞろぞろ付いて来ることがあり、これには閉口していましたが、灌木が生い茂る小径に差し掛かった時、その子供達が夫妻の歩く先に走り、両側の灌木の枝を押さえつけ、枝の先が二人に触れないようにしたのです。
この時の感動をタウトは日記にこう記しています。
「貧しい農家の子供なのに細かい心遣いをする。やはり日本なのだ!」

昭和11年にタウトが日本を去る時、八幡村の全村民が見送りに駆けつけました。
彼らの「タウトさん万歳!エリカさん万歳!」のエールに、タウトは日本語で「八幡村万歳!」と応えたそうです。