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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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1/11「海を越えた師弟愛」

慶応3年のきょう1月11日、横浜から船でフランスへ旅立った一団がいます。
当時のフランスが日本にパリ万国博覧会への参加を要請。それを受けて幕府は将軍徳川慶喜の弟・昭武を名代とした使節団を派遣したのです。
このとき昭武は13歳。
まだ少年ですが、ゆくゆくは日本の指導者になるものと期待され、万博後もそのままパリに留学して西洋の学問を身につけることになっていました。

フランス政府は昭武に教育係をつけます。
選ばれたのはレオポルド・ヴィレット。46歳の陸軍中佐です。
彼は昭武が学ぶべき学科を立案。
自ら昭武の寄宿先に住み込み、教師として後見人として昭武の世話をします。
共に暮らしながらヴィレットは素直で聡明な少年をいたく気に入りました。
また昭武の方もみるみるフランス語が上達し、ヴィレットと親しく会話を交わすようになります。

しかし、その間に日本では幕府が崩壊。
新政府からの命令で昭武はやむなく留学を中断して帰国の途につきます。
ヴィレットは日本行きの船が待つマルセーユまで昭武を送り、別れの記念にイモルテルの花束を渡しました。
イモルテルとは「永遠」という意味。
昭武の帰国から二人の間で文通が始まり、それはヴィレットが亡くなるまで40年続き、その数は100通以上に及んでいます。

別れの花束が示したように、二人の師弟愛は永遠に続いたのです。