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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/9「黒い瞳の伯爵夫人」

明治時代、東京に赴任していたオーストリア・ハンガリー帝国の駐日代理公使・クーデンホーフ伯爵が馬で移動中に落馬したとき、通りがかった一人の町娘が駆け寄って手当てを施しました。

彼女の名前は青山光子。
このことがきっかけでクーデンホーフ伯爵と光子は恋に落ち、やがて周囲の猛反対を押し切って結婚。
日本初の公式な国際結婚といわれています。
彼女は帰国する夫と共にヨーロッパへ渡り、ウィーンの社交界で「黒い瞳の伯爵夫人」と人気を呼びました。

しかし、光子が30歳のときに伯爵が心臓発作で急死。
遺言に従って彼女は広い領地を引き継ぎ、クーデンホーフ家の当主として一族を取り仕切りながら、7人の子どもたちを育て上げました。
その息子の一人は後に、ヨーロッパ全体をひとつに統合する「汎ヨーロッパ主義」を発表。
現在のEU誕生につながるさきがけで、彼はその本に
「ヨーロッパ人とアジア人の子として、私の世界に国境はない。
ヨーロッパは、世界はひとつだ」と記しています。
それは、母・光子の教えに基づいたものなのです。

その後、光子は二度と日本に帰ることなくウィーンで生涯を閉じますが、ヨーロッパの新聞各紙は彼女に「ヨーロッパ連合の母」という称号を贈りました。