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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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9/16「左右自在の博士」

エドワード・モースといえば、明治の初めに来日し、汽車の窓から大森貝塚を発見した人物として、よく知られています。

モース博士の専門は動物学で東京大学の教授に就任しましたが、彼はその専門分野に留まらず、日本人講師と協力しながらさまざまな活動をして、日本の学術・教育の発展に尽くしています。
また、こよなく日本を愛したモース博士は、日本の生活や芸能文化にも興味津々。見るだけではなく何ごとも体験するのが好きでした。

彼が日本の伝統芸能である能を鑑賞したときも、観るだけでは飽き足らず、謡曲を謡ってみたいと考え、名人に稽古をつけてもらうことになりました。
外国人の謡曲など前代未聞で、大勢の見物人が集まりました。
謡曲の稽古は、先生がお手本として謡い、それを生徒が歌詞を読みながら繰り返すものですが、モース博士は日本語の文字が読めません。
いったいどうやって稽古するつもりなのか―皆が固唾を呑んで見守る中、名人が謡い出します。
すると、モース博士はそれを聞きながら、右手でその音声をローマ字にして書き留め、同時に左手で五線譜に、声の音程や抑揚を音符にして記していきました。
じつは、彼は左右の手で別々のことができる能力をもっていたのです。

そして、書き上げたローマ字と五線譜を見ながら幾度か名人の手本に合わせて稽古。そのうちに独りで正確に謡えるようになったのです。
モース博士の両手使いの技と謡曲の謡いっぷりを間近に見た皆は、割れんばかりの拍手喝采。
明治日本のお雇い外国人の中で、エドワード・モースは最も日本人に人気があった一人でした。