TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(7/22「予報官は辛い」)
(8/5「被災地へ向かう列車の汽笛」)→

7/29「走り続けたゼッケン67」

昭和39年に開催された東京オリンピックで、メダルどころか最下位という成績に終わりながら、多くの人々の心をとらえた選手がいました。
ラナトゥンゲ・カルナナンダ選手。
当時のセイロン、現在のスリランカの代表選手でした。

彼が出場したのは陸上競技の10000m。
400mのトラックを25周する競技です。
国立霞ヶ丘競技場で数万人の観衆が見守る中、次々に選手がゴールし、ゼッケン67のカルナナンダ選手も最下位でゴール!と思いきや、まだ走り続けます。
周回遅れでした。
しかも、そのあと3周も脇腹を押えながら一人で黙々と走り続けたのです。
最初は冷ややかに見ていたという人々の間に驚きと感動が広がり始めます。
そして、最後の力を振り絞ってゴールするとき、競技場にはその健闘を讃える大きな拍手が響き渡っていたのです。

レースの後、カルナナンダ選手は「娘が大きくなったら、お父さんは負けても最後まで頑張って走ったと教えてやるんだ」と語ったといわれます。
実は東京オリンピックの年、しかもオリンピック出場を決めた日に生まれたネルムという名の幼い娘がいたのです。
そのネルムが10才のとき、カルナナンダ選手は不慮の事故で亡くなります。

現在、看護師として活躍するネルム。
「父は私の誇りです」と語る娘の心の中で、ゼッケン67は、今も走り続けています。