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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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7/22「予報官は辛い」

日本で天気予報が始まったのは、明治17年のこと。
気象庁の前身である東京気象台から日本で最初の天気予報が発表されました。
その内容は「全国一般、風の向きは定まりなし。天気は変わりやすし。ただし雨天がち」。つまり、地方ごとではなく日本全国の天気をこのような一文で予報する簡単なものだったのです。

それから1世紀以上経った現在では、全国各地の気象台を中心として国内約3000カ所の気象観測所、それに気象レーダーや気象衛星からのデータを駆使して、正確できめの細かい天気予報に進化しています。
しかし、それでも天気予報が100%の確率で当たることはありません。
なぜなら、地球の大気の動きはまだまだ不確定な要素があるからです。
そこが、気象台に勤める予報官の辛いところ。
ときには気象学の常識では考えられないような低気圧の動きのために、晴れの予報を出したにも拘らず、雨が降ることだってあるのです。

10年ほど前、東京の天気予報が当たらないと苦情が殺到したことがあります。
その日の天気も予報では晴れなのに、実際は雨。
皆が傘を差して街を歩いている中、ある建物から一人の男性が傘も持たずに出てきました。
びしょ濡れになって駅に向かって歩いています。
怪訝に思った人が声をかけたところ、その男性はこう答えたそうです。
「いやあ、傘は会社の中に置いているんですが、皆さんにすまないから、持たずに出たんです」

その建物は東京の気象台で、男性は予報官だったのです。