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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2/19「借金王を支えた人たち」

野口英世といえば偉人伝の代表的な人物。世界的な細菌学者としてノーベル賞候補にもなりました。
しかしその偉業の一方で、彼は金銭感覚がルーズで、桁違いの借金王だったことでも知られています。

英世が上京して勉強することになったとき、彼の才能を認めた歯科医の血脇(ちわき)さんは月15円の学費を援助。医師の試験に合格してもお金には不自由していたようで、故郷の親友にもたびたび無心しています。
そしてアメリカに留学するときの渡航費は、歯科医の血脇さんが新婚の奥さんの花嫁衣装を質屋に入れて立て替えています。
さらにアメリカで有名になって一時帰国したときの費用は、親友に「カネオクレ」と電報を打って用立ててもらいました。
一事が万事この調子で、野口英世は何かと友人や恩人から借金をしまくって暮らし、そのほとんどを返済することはなかったのです。
しかしそれでも、お金を貸していた人たちはだれ一人、恨み言を言っていません。

英世は晩年、アフリカのガーナに渡って黄熱病の研究に没頭し、自らが感染して昭和3年に51歳の若さで亡くなりますが、その後も血脇さんや故郷の親友は野口英世の伝記を出版する費用まで出しているのです。
お金にルーズで無頓着だが、どんな苦労も惜しまず、ひたすら研究に没頭する英世。そんな彼を何としても助けたいと、血脇さんらは、かえってくるあてのない資金援助を続けたのです。

後年、血脇さんは英世について聞きたがる息子に向かって、ただひとこと答えたそうです。「男にだけは惚れてはならぬ」と。