12/18「八雲が愛した熊本」
熊本の街に縁が深い文学者といえば、夏目漱石と小泉八雲が挙げられます。
どちらも明治時代に英語教師として第五高等学校??いまの熊本大学に赴任。
数年を熊本の街に暮らしています。
この二人を比べてみると、漱石が熊本の地をたいそう気に入って、
名作『草枕』や俳句など、熊本を舞台にした多くの作品を発表しているのに対して、
小泉八雲は赴任してきた熊本という土地をあまり気に入ってなかったようです。
実際、八雲が本国イギリスの友人に送った手紙には、「熊本の街は軍人ばかり。
酒を呑む、喧嘩をする、妻を殴る。驚くほど醜い」と伝えています。
たしかに、当時の熊本は西南戦争の焼け跡で殺風景な街。
日本古来の家並みが消えていたことに失望したのは事実でした。
しかし、赴任してきて2年後。
八雲の熊本に対する思いが一変した出来事がありました。
熊本で殺人事件を起こした犯人が福岡で逮捕され、
現在の上熊本駅に護送されてきた場に偶然居合わせた八雲。
大勢の群衆が駅を取り囲み、犯人は駅前で被害者の遺族の前に突き出されました。
犯人を前におびえて泣く幼子。泣き崩れる犯人。
八雲は、怒りに興奮した群衆が殺到して犯人をこらしめるに違いない、と思いました。
ところが、そうではありません。
群衆もまたすすり泣きを始めたのです。
それは、遺族である被害者の幼子への同情と、
犯した罪の大きさに激しく懺悔する犯人への、言い難い憐れみのすすり泣きだったのです。
「どんなことにもすぐほろりとしてしまう慈悲に富んだ大衆がそこにいた」と、
八雲は随筆に記しています。
それ以来、八雲は熊本という土地、熊本の人々に限りない愛情を抱いたそうです。
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