TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(9/4「動物慰霊祭」)
(9/18 「正岡子規とベースボール」)→

9/11「伝説の歌姫」

オペラで女性の一番低い音域の歌声をとくにコントラルトと呼びますが、
1930年代のアメリカで「百年に一度の声」と絶賛された伝説のコントラルト歌手がいます。
マリアン・アンダーソン。
12歳で父親を亡くし、貧しい母子家庭で育ちましたが、幼少のころから並外れた歌の才能を発揮し、
高校生になると謝礼をもらって音楽会で歌うほどになりました。

ところが、その後、本格的に音楽の教育を受ける段階でも、
キャリアを積む過程でも、彼女の前に立ちふさがった壁がありました。
それは当時のアメリカ社会に当たり前のように存在していた人種差別という壁。
アフリカ系アメリカ人の彼女は、肌の色が黒だという理由で、実力を持っていながら音楽学校に入学できず、
独学の末にプロデビューを果たしてもラジオ局で放送されないなど、苛酷な差別を強いられたのです。
しかしそのたびに彼女はひたむきな努力と周囲の援助によって困難を乗り越え、
その歌唱力の真価はヨーロッパで絶賛されました。

ところが世界的名声を博してアメリカに帰国した彼女を待っていたのは、やはり人種差別。
1939年にワシントンでコンサートをやろうとしたとき、ワシントン一の大きさを誇るホールは彼女の出演を拒否しました。
この事件を新聞報道で知り心を痛めた大統領夫人の働きかけで、
ワシントンのリンカーン記念堂前の階段でマリアンの青空コンサートが開かれることになりました。

集まった聴衆は7万5000人。この大群衆を前に全霊を傾けて歌ったマリアンの歴史的な青空コンサートは、
その後、黒人差別撤廃と人権平等を求める闘いのシンボルとなったのです。
しかし彼女自身は差別について直接訴えることはありませんでした。
彼女はただただ歌うことによって人々の魂を揺さぶり、後に続く黒人たちの行く道を照らす光となったのです。