TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(6/26「ヘダ号の絆」)
(7/10「1万の善」)→

7/3「スポーツと友情」

かつて東西冷戦の中でボイコットに揺れた1980年のモスクワオリンピック。
日本はアメリカの意向に添って参加しませんでしたが、
このとき、政治の介入を阻みIOC憲章に則って参加すべきだ、と強く反対する日本人がいました。
IOCの副会長だった清川正二(きよかわまさじ)さんです。

彼は1932年のロサンゼルスオリンピックに水泳選手として出場。
その当時、満州事変から米国では排日運動が高まり、会場にも険悪な空気が充満していました。
ところが、清川さんら日本の選手がどんどん勝ち始めると、まるで氷が溶けるように会場の空気が和らいできたのです。
百メートル背泳で清川さんは日本初の金メダリストになりましたが、その表彰式を米国の十万人の観衆が祝福しました。

時移って1948年の全米選手権大会。
清川さんは日本水泳選手団のコーチとして、敗戦直後の日本から再びロスに来ました。
「ロスには太平洋戦争で身内の人を失った遺族の方も多いに違いない。
日本選手の活躍がそんな人たちの感情を損ねるのでは」と気に病む清川さん。
でも、その心配は杞憂に終わりました。
日本選手たちの圧倒的強さに、現地の観客は心から惜しみない拍手を送ってくれたのです。
そして日本選手の宿舎には数多くの人たちが訪ねてきて、握手を求め、お祝いの言葉を述べ、
「日本は食べ物や着る物がなくて困っているだろう」と、
菓子や服などの贈り物を、持ちきれないほど届けてくれました。
この体験によって清川さんは、スポーツが政治を超えて国を超えて友情を結ぶことを確信したのです。

「だから、国と国が政治的に対立していてもオリンピックで友情を結ぶべき」
??これが晩年の清川さんの断固とした訴えだったのです。