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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/26「ヘダ号の絆」

ロシアの使節プチャーチンが艦隊を率いて日本に来航したのは嘉永6年7月。
アメリカのペリーが幕府に開国を迫った翌月のことでした。
通商条約締結を目指すプチャーチンは、その後も来航を重ね、
三度目の来航で幕府と交渉を開始した直後、
マグニチュード8.4と伝えられる大地震、安政東海大地震が発生するのです。

プチャーチンの船、ディアナ号は押し寄せる大津波で大破。
しかしその最中に、津波にのまれた日本人を救出し、被災地に医師を派遣して幕府に感銘を与えています。
その後、船は修理に向かう途中で沈没してしまいますが、
およそ500名の乗組員は沿岸の村人達の懸命の働きで救出され、ロシア側が深く感謝したといわれます。

帰国する船を失ったプチャーチンは、幕府の許可を得て、
現在の静岡県沼津市戸田(へだ)で船の建造に取りかかります。
それは日本初の本格的な洋式の船の建造でした。
船の設計と監督はロシア側がおこない、日本側は戸田の船大工を始め、
江戸からも優秀な船大工や鍛冶職人が呼び寄せられ、
日本とロシアの一致団結のもと、わずか三カ月で船が完成するのです。
感激したプチャーチンは「ヘダ号」と命名して感謝の気持ちをあらわし、
条約締結の使命も果たして帰国の途についています。

甚大な被害をもたらした大地震でしたが、その困難の中で、国と国、人と人の絆はより深く結ばれたのです。