7/10「1万の善」
大分県日田市には、江戸時代末期に「咸宜園」(かんぎえん)という私塾があり、
全国から入門者が殺到する名門塾として知られていました。
咸宜園の大きな特徴は、身分、年齢、学歴を一切問われることなく入門できるという点。
塾生の中には、8歳の町人もいれば42歳の士族もいて、こうした人たちをすべて公平に受け入れたのです。
ただし、一旦入門すると、月に1回試験を行い、その学力によってクラス分けされます。
もちろん成績がよければ、身分、年齢、学歴に関係なく進級。
このような選抜制度は、当時の日本はもちろん、世界的にも先駆的な教育システムでした。
咸宜園を主宰していたのは、日田で生まれ育った儒学者の広瀬淡窓(ひろせたんそう)。
彼は学問に対しては厳しい反面、遊び心を多分に秘めた人でもありました。
その代表的なものが、「万善簿」(まんぜんぼ)と名づけた、淡窓自身の自己採点表。
これは日常の行動をすべて善悪に分け、善は白丸、悪は黒丸でそれぞれ表したものです。
善悪の基準はあくまで淡窓自身の勝手気まま。
たとえば、「塾生に梨をふるまった」??これは白丸ひとつ。
「悪さをするネコを叩いた」??これは黒丸3つ。
「酒を飲み過ぎた」ことでも黒丸2つ、という具合です。
こうして月末に善悪の数を差し引き計算し、年末には1年分を集計。
白丸が1万になるのを目指したのですが、54歳から12年かかって白丸1万を達成したようです。
淡窓が生涯を通じてこだわった「善」。
この万善簿は時を超えていま、子どもたちの総合教育に取り入れられています。
|