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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/5「ペルーが泣いた日」

日本の女子バレーボールチームが「東洋の魔女」と恐れられていた1965年、
元バレーボール全日本選手の加藤明氏が南米・ペルーの女子バレーボールチームの監督として招かれました。

当時のペルーの女子バレーボールはあまりにも未熟でした。
そこで彼はペルー中から素質のある少女を捜し歩き、新しいチームを編成。
世界に通用するチームを育て上げるため、厳しい練習を課します。
しかしペルーの娘たちはその日本式のスパルタ教育に面食らい、
彼女たちの多くが根を上げ、何度も逃げ出しては引き戻されるありさま。
ペルーの新聞からは「野蛮な国から来た野蛮な監督」と非難されました。

自分のやり方は受け入れられない・・・・・。
悩んだ加藤氏は、ペルーの言葉や食べ物、生活習慣、文化を吸収して、ペルー人の心を理解しようとしました。
そして、練習だけでなく精神面や生活面も指導したり、
ときには選手たちと食卓を囲み、日本の歌を得意のギターで弾いていっしょに歌ったりして、
家族同様の交流を深めていきます。
そんな彼をペルーの娘たちはやがて父のように慕い、厳しい練習にも取り組み、チームはメキメキと上達。
1968年のメキシコオリンピックでは4位入賞を果たし、世界を驚かせました。

その加藤明氏は1982年、ウイルス性肝炎を発病し、ペルーで永眠。
首都のリマでは弔意を表す車のクラクションが一晩中鳴らされ、
新聞の一面の見出しには「ペルーが泣いている」と報じられました。
悲しみを胸に秘めた加藤氏の娘たちは、
その年の秋に地元ペルーで開催されたバレーボールの世界選手権で、
彼の母国・日本チームを初めて下し、史上最高となる準優勝を獲得。
それは日本人・加藤氏がペルー人となって17年かけて蒔いた種が花を咲かせた瞬間だったのです。