TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(10/17「ケーベル先生」)
(10/31「日本の銀杏」)→

10/24「57名の命を救った非常警笛」

明治36年10月28日午後10時、青函連絡船「東海丸」は函館に向けて、青森港を出港しました。
ところがこの日は吹雪で海は大しけ。
夜半過ぎて船はロシアの貨物船「プログレス号」と衝突します。

船内で指揮をとるのは、船長の久田佐助(ひさださすけ)です。
東海丸が沈没する危険をいち早く察し、5艘の救命ボートに乗客を速やかに誘導しました。
一艘ずつ救命ボートが降ろされると、船長はロープを持ち出して、傾き始めた東海丸に自らの身体を縛りつけます。
「船長も早くボートに!」
船員が慌てて呼びにくると、
「船と運命をともにするのは船長の義務だ。お前はボートに戻って一人でも多くの乗客を助けなさい」と命じました。

時刻は朝5時。
周囲はまだ真っ暗です。
船長は、この大しけでは救命ボートが転覆する恐れがあると判断し、
非常事態を一刻も早く周囲に知らせるため、東海丸に一人残って非常汽笛を鳴らし続けたのです。

やがて汽笛に気がついたプログレス号が現場に引き返し、救命ボートの収容を開始しました。
乗客104名のうち57名が無事に救助されましたが、
もし久田船長も救命ボートに乗っていたら、大しけ、視界不良という悪条件の中で
助けの船を呼ぶこともできず、ほとんどの命は助からなかっただろうといわれています。

このニュースはイギリスでも報じられ、久田佐助は「世界の名船長」と称えられました。
彼の故郷・石川県能登町では、彼が船と運命をともにした10月29日に毎年記念式典を行い、
今なお町民の誇りとして語り継いでいます。