10/17「ケーベル先生」
明治時代の日本では、欧米の先進技術や学問を取り入れるために多くの外国人を招いていました。
ドイツ系ロシア人、ラファエル・フォン・ケーベルもその一人。
彼は明治26年から大正3年まで東京帝国大学に在職し、ドイツ哲学を教えていました。
また、彼はかつてモスクワ音楽院でチャイコフスキーに師事した音楽家でもあったため、
東京音楽大学でもピアノの教師を務め、ときには一般の人たちに向けてコンサートを開いたりもしていました。
ケーベルは、当時の外国人教師にありがちな権威主義に満ちた傲慢不遜な姿勢が一切なく、
自分が教える日本の学生たちを心の底から愛し、
講義以外にも必要な時にはボランティアで学生のためにラテン語の指導をしたり、
自宅に学生たちを招き入れ、食卓を共にして歓談するというような人柄でした。
そんな彼の深い学識と、高潔な人格に感化された学生は多く、
教え子のひとり・夏目漱石は、
著書の中で「大学の中で一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、
100人の学生が90人までケーベル先生と答えるだろう」と述べています。
ケーベルは21年間の大学在職を終えた後もそのまま日本に留まり、
晩年は随筆集や『九つの歌』と題する歌曲集を書き残し、大正12年に亡くなりました。
生前はいわゆる「女嫌い」として知られ、生涯独身を貫いたケーベル。
子孫はなく、彼のことを知る教え子たちもやがて世を去っていきましたが、
平成2年に彼が知人に宛てた手紙が発見され、ちょっとした話題になりました。
その手紙には、彼が晩年に作った歌曲集『九つの歌』が、
じつは彼を愛したドイツ人女性の死を悼むレクイエムであることが記されていたのです。
ケーベルが独身を貫いたのは、その彼女の愛に一生涯応え続けたからなのかもしれません。
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