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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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7/4「嘉南平原の父」

中国には昔から、「水を飲むたびに、井戸を掘った人に感謝しなさい」という教えがあります。
明治28年、日本の台湾統治が始まりますが、
その時代に世界にも例を見ない大規模なダムを台湾に建設した日本人がいます。

彼の名は、八田與一(はったよいち)。
台湾で一番広い嘉南(かなん)平原は、洪水や干ばつが度々おこり、だれも手がつけられずにいましたが、
八田は10年の歳月を費やして当時アジア一(いち)と呼ばれたダムを建設。
いまも60万人の農民から「嘉南の父」と呼ばれています。

彼が台湾で行った事業はダム建設だけではありません。
学校や病院を建てたり、映画鑑賞会を開いたりと、何よりも働く人々の環境を整えることに力を尽くしました。

八田與一が台湾の人々に愛されていることを物語るエピソードがあります。
太平洋戦争の終盤、武器を作るために台湾中の金属が次々と回収される中、
住民たちは真っ先に八田の銅像を隠したのです。
戦後になっても、反日感情を考慮して銅像は隠されたままでしたが、
昭和56年、住民たちのたっての希望で、銅像は37年ぶりに再び元の位置に戻されました。
台湾では教科書にも彼のことが掲載され、ある女子高生は「祖父の時代にダムを造った日本人を尊敬します。
技術は国境を越えるのですね」と語りました。
一方、八田の功績を新聞で知った日本の男子中学生は、
「これからは僕らが日本と台湾のかけ橋になることで、新しい未来の絆を深めていきたい」と語っています。

サトウキビも育たなかった荒れ地をダムによって台湾最大の穀倉地帯に変えた八田與一。
脈々と流れる水は、田畑だけでなく、未来を担う子どもたちの心も潤しています。