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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/28「もうひとりの宮沢」

「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」などの作品で知られる宮沢賢治。
しかし生前は、作家としてはほとんど無名の存在でした。
そんな彼を、童話作家として詩人として日本を代表する存在にしたのは、
もうひとりの宮沢、健治の八歳年下の弟、清六(せいろく)でした。

岩手県花巻の裕福な資産家の長男にうまれた健治は、
教師や農業指導のかたわら童話などの執筆に取り組みました。
父親との折り合いも悪かった兄に代わって家を継いだのが清六で、病弱な兄を経済的にも支えました。

昭和8年9月、病気が悪化して健治に死が迫ったとき、兄の容態を心配した清六は、そばに寝て一夜を明かします。
このとき健治は「俺の原稿はみんなお前にやるから、もしどこかの本屋で出したいと言ってきたら、
どんなに小さな本屋でもいいから出版させてくれ」と言い残すのです。
健治が亡くなったのは、その翌日。
37歳の若さでした。

清六は、健治と交流のあった作家の草野心平や高村光太郎の協力を得ながら、翌年には「宮沢賢治全集」を出版。
また、兄の遺品の手帳に、人知れずメモのように書かれていた「雨ニモマケズ」を世に送り出し、
戦時中に空襲で自宅が焼失した際にも、健治の原稿を守り抜きました。

兄の最後の願いを、生涯をかけて叶えたもう一人の宮沢は、
平成13年6月97歳で兄のもとへ旅立っています。