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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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6/13「愛の理髪師」

1950年に起こった朝鮮戦争。
この時代の韓国で合わせて133人の戦災孤児を守り育てた日本人女性がいます。
永松カズさん。
彼女自身も幼くして中国大陸で、いわゆる「残留孤児」として苦労をしながら生き抜いてきました。

日本の敗戦でようやく引揚者として祖国・日本に帰ることができたカズさん。
しかし、日本に身寄りがなく、母が眠る大陸に思いを募らせた彼女は、
3年後に再び日本から韓国に渡り、ソウルで暮らします。
そこで勃発した朝鮮戦争。
戦火の中を逃げ惑っているとき、目の前で、胸を撃たれた一人の女性が倒れました。
その腕には、泣き叫ぶ血まみれの赤子。
カズさんは見捨てることができず、思わず男児を抱きしめました。
このことが、親のない孤児たちの母として生きてゆくきっかけとなったのです。

孤児たちを引き連れて路上で寝起きする避難生活。
戦争が終わると、ソウルの街にバラック小屋で理髪店を営みながら、孤児たちの世話をしていきます。
裕福な人が行う慈善事業ではありません。
子どものころから天涯孤独で流浪の人生を歩んできたカズさんは、
学校というものに通ったことがなく、財産もありません。
理髪店の収入だけでは、とうてい子どもたちを養うことはできず、
同時にさまざまな肉体労働をして生計を立て、ときには自らの血を売ってまでお金を稼ぎ、
子どもたちに食べさせ、育てていったのです。
やがてカズさんはソウルの人々の間で「愛の理髪師」と呼ばれるようになり、
韓国内にも日本にも支援者が増えていきました。

1983年に波乱の生涯を閉じた永松カズさん。
彼女自身の口癖で、133人の戦災孤児に語り続けたのは、
「転んでも転んでもダルマの如く立ち上がれ」という言葉です。