6/6「スタープレイヤーと子どもたち」
戦後のプロ野球界に彗星のように現れ、「青空高く舞い上がるホームラン」で活躍した大下弘(おおしたひろし)。
オールドファンならご存知でしょう。
昭和30年代、福岡の西鉄ライオンズは日本最強のチームだとうたわれましたが、その牽引役となったのが、大下選手。
当時のスタープレイヤーの一人です。
そんな彼の心休まるひとときは、子どもたちとのふれあいでした。
近所で見知らぬ少年たちがキャッチボールをして遊んでいると、彼は気軽に声をかけます。
「キミたち、野球が好きか」
そして、そのまま、彼はごく自然にキャッチボールの相手を務めるのです。
こうやって仲良くなった大勢の子どもたちのために、彼は自宅を開放し、
宿題を終えた子どもたちに野球を教えたり、またキャンプに連れていったり、クリスマス会を催したりしました。
また、地元・福岡で試合がある日は、まず近所の子どもたちが大下家に集合。
大下選手のスパイクやグローブなど野球道具を奪い合うように分担して手に持ち、
大下選手を先頭に、当時のホームグラウンド・平和台球場まで皆で歩いて通っていたのです。
その姿を見た人の話によると、子どもたちは皆誇らしげに、大はしゃぎしながら大下選手の後をついていき、
その大下選手自身は大人ではなく、まるで子分どもを引き連れたガキ大将のようだったそうです。
その後、現役引退した大下選手は、やがてプロ野球界も去り、昭和54年に亡くなりますが、
それまでずっと少年野球チームの指導に取り組んでいました。
彼は、いつも子どもたちとふれあって童心に返ることで、
野球という少年時代からの夢を、そのまま生涯見続けたのかもしれません。
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