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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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12/13「モンゴルに輝く稲穂」

「ぜひ日本の米づくりを教えて欲しい」
モンゴルのある地域の代表から申し入れがあったのは、青森県車力村(しゃりきむら)の村長。
遊牧の国モンゴルでは肉や乳製品以外は輸入に頼るしかなく、国民はいつも食糧難の不安を抱えていました。
青森の寒冷地で米ができるなら、同じような気候のモンゴルにもできないだろうかと、国際交流会で相談を受けたのです。

村長は悩みました。
人口7千人にも満たない小さな村に、そんな支援をする余裕があるだろうか…。
案の定、村民からは「日本では米が余っているのだから、それを送ればいい」という声があがります。
しかし村長は、輸入に頼るのではなく自分たちで主食を作ろうとするモンゴルの人たちの思いを痛感していました。
現地で人が汗を流す支援をしたい、と村民を説得します。

やがて、村からモンゴルに日本の苗とともに指導者が派遣され、現地の人たちといっしょに水田づくりに取り組みます。
しかし、1年目はモンゴルの水が冷たすぎて苗が育たず失敗。
2年目は順調に育ち始めたかと思われましたが、例年にない寒波に見舞われ、またしても失敗。
それでも3年目の支援を行おうとしたとき、村民たちは村長に「モンゴルの支援と車力村と、どちらが大事なんだ」と詰め寄ります。
村長の答えは、こうでした。
「もちろん車力村だ。でも、モンゴルでお米ができたら、私たちの村にも大きな力があったことに気づく。その自信が誇りになって、村がもっと元気になる」
さまざまなプレッシャーがかかった3年目の1993年、ついにモンゴルの水田に稲が実りました。
国中が喜びにわき、このニュースは日本でも大きく取り上げられました。

車力村とモンゴルとの交流はいまも続き、毎年モンゴルに実る稲穂は、自分たちの誇りとして村人たちの胸に輝いています。