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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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10/11「熱血先生のラグビー」

ラグビーの日本代表として活躍し、引退後、京都府内である高校のラグビー部に赴任した先生がいます。
彼の名前は、山口良治(やまぐちよしはる)さん。

昭和49年の春、新しい出会いに胸を膨らませて校門をくぐった山口先生でしたが、
校内の荒れ具合は想像以上で、まともに授業もできない状態。
ラグビー部の部員には面と向かって「あんた、そんな強いのなら、よその学校に行け」とあしらわれる始末。
他の先生達は諦めていた様子ですが、山口先生は違いました。
「こんな状態になるまで放っておいた大人たちが悪い。必ず更生してみせる」と決心し、
生徒が悪いことをしたときは徹底的に注意していきました。
彼は自分の信念を曲げず、いつでも正面から生徒にぶつかっていったので、そのうち一目置かれるようになりました。

しかし、ラグビー部の初めての練習試合は「112対0」の記録的な大敗。
部員の誰もが叱られると思ったのですが、
山口先生がみんなに掛けた言葉は「お疲れさん。ケガはなかったか?」その時です。
部員の一人がポロポロと涙を流し、「オレ、悔しい」とつぶやきました。
すると全員がその場に泣き崩れ、「京都で一番になろうや」と新たな目標を口々に語り出したのです。
「目指せ、京都一!」??それは、先生と生徒の心が一つになった瞬間でもありました。
母親のいない部員が一人でパンを食べていたとき、
山口先生は奥さんに作ってもらった大きな特製おにぎりをあげたこともあります。
その生徒は当時、京都一のワルと呼ばれていましたが、
後に「辛いとき、あのおにぎりを思い出せば頑張ってラグビーに打ち込めた」と語っています。

弱小だったラグビー部は、やがて京都一どころか、全国優勝を果たしました。
不良だった生徒たちはその後、教師や企業の社長などになって、今も山口先生と交流を続けています。