9/6「世界に井戸を掘る」
千葉県には「上総(かずさ)掘り」と呼ばれる伝統的な井戸の掘り方があります。
これは、昔ながらの手掘りの方式ですが、この技術を世界に広め、飢えや干ばつに苦しむ人々を救った人物が中田正一(なかたしょういち)さんです。
きっかけは1963年、アフガニスタンの農業支援に参加したことに始まります。
お金や物資は送ることができるけれど、水だけは現地になければ意味がない、と考えた中田さんは、海外で供給できる井戸の掘り方を研究します。
例えば、エンジン付きのポンプ井戸は便利ですが、それを扱ったり修理ができる技術者がいなければ、現地では何の役にも立ちません。
その土地に合った方法で、そこにある道具で、そこにいる人々と一緒に開発する、それが昔ながらの手掘りの上総掘りだったのです。
彼は帰国後、井戸を掘る技術や農業の指導ができる人材を育てるため、国際協力会を設立しました。
ところが彼が用意したのは小さな家屋と田畑のみで、先生もいなければ、教科書もありません。
集まってきた若者たちに質問されても、「知りたいことがあれば、お百姓さんにでも聞きなさい」と答えます。
中田さんは、農業の先生は、農家の人たちや牛馬、そして自然のすべてであると考えていました。
だから、自分が教えたことを鵜呑みにするのではなく、若者自身の考えで試行錯誤しながらモノを覚え、その経験を海外で生かして欲しいと考えていたのです。
国際協力会に集まる若者は少しずつ増え、1984年に「風の学校」と改名。
この時、中田さんはすでに78歳でした。
若者たちからは「サイボーグじいちゃん」と呼ばれ親しまれていましたが、アフガニスタンで再び井戸掘りに挑戦しようとしていた矢先、脳腫瘍で倒れてしまいます。
彼は「助けることは、助けられること」という言葉を残して1991年にこの世を去りました。
中田さんの意志を受け継いだ若者は100名を超え、彼らは現在フィリピンやアフガニスタンで井戸を掘り続けています。
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