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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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9/27「小林一茶、その親心」

夜空に浮かぶ月の輝きが一段と美しい季節を迎えています。
今年の十五夜は遅く、秋も深まる十月三日の夜空に上りますが、
仲秋の名月は古くから歌人や俳人に数多く詠まれてきました。

「名月を取ってくれろと泣く子かな」  小林一茶

この句には、月を欲しがって泣く我が子をいとおしく見つめる、一茶の温かな親心が込められています。
実は五十歳を過ぎて遅い結婚をした一茶は、四人の子供に恵まれながら、
幼いうちに次々に全ての子を失っています。なかでもわずか一歳で亡くなった愛娘の死は、
可愛さが増していた頃だけに一茶の悲しみを深いものにしました。
一茶は我が子の命の儚さを秋草に降りる露にたくして詠んでいます。

「露の世は 露の世ながら さりながら」

愛娘への諦めきれぬ思いを切々と詠んだ一茶は、その後妻とも死別。
しかし六十歳を過ぎて再婚すると、妻のお腹には新たな命が宿るのです。
ところが、喜びも束の間、一茶は我が子の顔を見ることなく六十五歳で亡くなります。
その翌年に生まれたのは女の子でした。
一茶がただひとりこの世に残した娘は、一茶の嘆きを拭い去るように、
その後無事に成長して明治という新たな時代を迎えています。

そしてなにより、一茶が詠んだ句のひとつひとつが、時を越え、人の命の儚さをこえて、
我が子の心を照らし、親子の絆を結んだことでしょう。
子を思う親心、それこそが永久(とわ)の輝きを放つ名月なのかもしれません。