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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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9/20「打坂峠のお地蔵さん」

きょう9月20日は、明治36年に日本で初めて営業バスが走ったことを記念して、「バスの日」と制定されています。
長崎県時津町(とぎつちょう)には、いまも人々の心に残るバスの運転手がいました。
彼の名は、鬼塚道男(おにづかみちお)さん。

戦後間もない昭和22年、鬼塚さんは当時21歳で、まだ運転手になったばかりの頃のことです。
当時は、車体の後ろで木炭を焚きながら走る木炭バス。
彼の運転するバスは、国道206号線沿いの打坂(うちざか)峠を上っていました。
勾配が20度もあるこの峠は、運転手の間では地獄坂とも呼ばれていました。
およそ30人の乗客を乗せたバスは、急カーブに差しかかりますが、頂上まであと少しというところでギアシャフトが外れてしまいました。
ブレーキが効かなくなったバスは、ずるずると後ろに下がりはじめ、車内は騒然とします。
何か、石のようなものをタイヤに挟まなければ!
鬼塚さんはバスから飛び降りて後ろに回り込み、手当たり次第に石や棒を挟みますが、勢いのついたバスは止まりません。崖っぷちまで、あとわずか…だれもが最悪の事態を覚悟したそのとき、バスは静かに停まりました。
乗客にようやく安堵の声があがりますが、鬼塚さんの姿がありません。
辺りを見回すと、バスの後ろには、自らの身体を投げ出してタイヤの下敷きになった鬼塚さんが石のようにうずくまっていました。
すぐに病院に運ばれましたが、彼は間もなく息を引き取りました。
戦後の貧しい時代。
人々は供養らしい供養もしてあげることができませんでしたが、乗客たちや、そして町の人々も、鬼塚さんを決して忘れることはありませんでした。

24年後のある日、そのときの乗客の一人の証言が小さな新聞記事になったのをきっかけに、打坂峠には鬼塚さんの記念碑とお地蔵さんが建てられました。
そして彼が亡くなった命日には、打坂峠でいまも供養祭が行われています。