5/17「敗戦国に夢を与えたボクサー」
1952年5月19日。この日は、日本人初のボクシング世界チャンピオンが誕生した日です。
彼の名は、白井義男(しらいよしお)。
対戦相手には「殴られずに殴る」という徹底したスタイルで見事チャンピオンに輝きましたが、白井の名コーチとして知られるのがアメリカ人のカーン博士です。
カーン博士は、ボクシング経験もなく、スポーツにおける身体能力を研究する学者でした。
ボクシングのコーチとしては全く素人の博士が、白井の優れた俊敏性を見出したことから、自らコーチを名乗り出ます。
練習が始まると、カーンは、白井に防御の基礎ばかり教えました。
その姿は、周りの目には「外国人に同じことばかりさせられている」という風にしか映りませんでした。
それは、日本人の身体的な特徴と白井の俊敏性をうまく生かしたスタイルだったのですが、周囲からは「ボクシングらしくない」と非難されました。
それでも白井はカーン博士と二人三脚で確実に勝利を重ねていきます。
そして迎えた、世界タイトルマッチ。
王者はアメリカ人のダド・マリノです。
日本はサンフランシスコ平和条約が発効された直後でもあり、白井の挑戦は、敗戦に打ちひしがれていた日本人にとっての挑戦でもありました。
4万人の大観衆の中、プレッシャーに押し潰されそうになる白井。
カーン博士は、「自分のために戦うと思うな。日本人の誇りと希望を取り戻すために戦うのだ」と彼の背中を押し出します。
そしてついに誕生した悲願の世界チャンピオン。
その後も4度の防衛に成功し、二人の関係は、ボクシング界にとっても新たな風を吹き込みました。
引退後、白井は生涯独身を貫いたカーン博士を家族として迎え入れ、臨終の際まで看取りました。
カーン博士について白井は「記録の上では私は日本人初の世界チャンピオンですが、その生みの親はアメリカ人のカーン博士であることをいつまでも記憶しておいてほしいと思います」と語っています。
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