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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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5/24「軍艦島」

長崎市の沖合に浮かぶ端島。
島全体が石炭を掘り出す炭坑で、その独特の景観から「軍艦島」と呼ばれています。
明治から大正、昭和にかけて操業を続けた軍艦島は、1974年にその役割を終えて閉山。
そのまま無人島になってしまいました。
ところが、近年になって、この島が九州・山口の近代化遺産群のひとつとして、世界遺産国内候補に選ばれたことから注目され、この春から観光客向けに上陸できるようになりました。

当時の最先端の技術で造られた炭坑施設や高層住宅などが、35年の歳月で風化され、廃墟となりながら、現代の私たちに、日本の近代工業化の原動力となった島の歴史的価値を伝えてくれます。
しかし、35年前まで島に住んでいた人の中には、廃墟となった島の姿を観光地として見られることに複雑な気持ちをもつ方もいます。
この小さな島に、かつては5000人もの人が住んでいました。
狭い敷地に高層アパートが連なり、学校や病院、映画館もあり、海に囲まれ外界と隔絶された小さな町となっていた軍艦島。
そこでは、皆が工夫しながら、お互い助け合う、独特の絆で結ばれた暮らしをしていたのです。
親が留守にするとき、その子どもたちの世話は、頼まれなくても自然と、近所の家の人が預かってしてくれていました。
母親を病気で亡くした幼子がいました。
その子は、近所のおばさんにお乳をもらって、島ですくすくと育っていったのです。

いまの私たちの暮らしからは想像もできないご近所づきあい。
その子は大人になって「私の育ての親は、軍艦島」と振り返っています。
島全体が家族ぐるみ??そんな暮らしが廃墟の中に存在していたこと。
そして、その暮らしを思い出の故郷として大切にしている人たちがいることを、観光で軍艦島に訪れる人に知ってほしいと思います。