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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2/22「メダルへの思い」

冬季オリンピックに女子のスピードスケートが初めて登場したのは、1960年のスコーバレー大会。
そのとき日本女子として初参加し、3種目すべてに日本記録で入賞したのが、高見沢初枝選手です。

特に3000mではメダルの期待もかかりましたが、後で走ったフィンランドの選手に0秒4だけ逆転され、惜しくも4位。
でも自らの日本記録を30秒以上更新しての入賞だったので、悔いはありませんでした。
しかし、僅かな差でメダルを逃したことの意味を彼女自身が知るのは、結婚して引退した後のことです。
オリンピックに関係する会合があるたび「メダリスト」と、その他大勢の「出場者」に分けられる・・・。
こんな空気を敏感に察した彼女は、過去の栄光を封印して、一人の主婦として生きていくことを決意。
スケートの本拠地だった長野を離れ、東京で2人の子どもを育てながら、第二の人生を送りました。
それでも、心の中では、オリンピックや世界選手権のたびに日本女子の活躍に期待。会場へ何度も足を運びますが、日本代表選手たちに顔を見せることはありませんでした。

ところが、1992年、アルベールビル冬季オリンピックのことです。高見沢さんが会場の片隅で、橋本聖子選手が銅メダルに輝いた1500mのレースを見届けた時、二人の視線が合い、橋本選手が高見沢さんのそばに近づいてきました。
高見沢さんが思わず握った橋本選手の手が、しっかりと握り返してきました。
引退して28年。
高見沢さんが僅か0.4秒で逃したメダルを、いま若い日本女子選手が取ってくれたのです。
「やったわね、おめでとう」
それだけ言うと、あとは涙が出て止まりませんでした。
そしてその瞬間、現役時代にメダリストになれなかった自分へのわだかまりも消えたのです。
その後、高見沢さんは、パラリンピックのスピードスケートの指導者として再び氷の上に戻っています・・・・。