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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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12/7「女子マラソンのパイオニア」

近代オリンピックの始まりとともに長い歴史を持つマラソン。
しかし、女性のマラソンランナーが登場したのは、ほんの40年前、1970年代になってからです。
それまでは、そもそも女性が42.195キロを走りきるなど常識外のことだったのです。
その壁を打ち破って女子マラソンのパイオニアとなったのは、専門のアスリートではなく、アマチュアの市民ランナーでした。

旧姓・諏訪美智子さん。
アメリカ人と結婚した日本女性・ゴーマン美智子さんは、夫のすすめで健康のためにジョギングを始めました。
やがて走ることに熱中していった彼女がめざしたのは、マラソン。
1974年、38歳になった彼女は、女子の部ができたばかりのボストンマラソンに出場しました。
この大会は男女いっしょのレース。
彼女が走っていると、何人もの男子ランナーが追い抜きざまに、「がんばれよ」と声をかけていきます。
給水所で受け取った水をとりこぼしてしまった彼女には、隣を走っているランナーが、持っていた氷をひとつくれます。
ほかのランナーのペースを調整しているらしいベテラン選手は、彼女の前になり、後ろになり「リズムを保て、肩を落として楽に走れ、その調子でピッチを上げろ」と助言。
沿道の市民たちも、生まれて間もない女子マラソンを懸命に引っ張って走る無名の主婦に、心からの声援を送ります。

こんな温かく熱狂的な応援を一身に受けながら走るゴーマン美智子。
このときの気持ちを彼女は、「その応援で鳥肌が立つような感動を覚え、体全体が宙に持ち上げられた感じがした」と後に語っています。

そんな多くの人たちの応援を力にして、2時間47分11秒でゴール。
彼女の世界記録から10年後の1984年に、女子マラソンはついにオリンピックの正式競技となったのです。