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提供:創価学会
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11/30「瀬戸内の島で眠るイギリス士官」

香川県丸亀市広島。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島には、一人の外国人のお墓があります。

日本が明治維新を迎える直前の1866年。
イギリスの軍艦シルビア号が、海底調査のため、瀬戸内海で測量を行っていました。
しかし、「レキ」という名前の乗組員が病気のため、船内で亡くなってしまいました。
乗組員たちは、やむを得ずこの島に上陸し、島の人々が見守る中、レキさんの遺体を埋めて、簡単な十字架を建てて帰っていきました。
ところが当時の日本は、キリスト教はもちろん、十字架を掲げることも許されなかった時代。
レキさんの墓標だった十字架は、役人に見つかってしまい、たちまち焼き捨てられてしまいました。
しかし、この様子を見て、島の人々は哀れに思いました。せめて十字架でなくても、自分たちだけでなんとか弔ってあげたいと、「長谷川三郎兵衛(はせがわさぶろうべえ)之墓」という架空の日本人の名前を付けた墓標を建てました。

そして2年後、明治元年を迎えたと同時に、島人たちは新たな墓石に「英国士官レキ之墓」と本人の名前を刻み、立派なお墓を建て直したのです。
それから、シルビア号が再びこの島に訪れたのは、31年後の明治29年です。
艦長は、昔レキさんと仲が良かった同僚。
旧友を偲ぶため、島に立ち寄った彼らが目にしたのは、美しい花が供えられた立派な石碑でした。
艦長をはじめ乗組員たちは、島の人々の温かい気持ちに感激して胸がいっぱいになりました。

帰国後、この報告を受けたイギリス公使館から島に感謝状が届きました。
レキさんのお墓は、国際親善の証として大切に守られ、今でもお花を手向ける人が絶えません。
その根底にあるのは、異国で一人寂しく眠っている外国人を慰めてあげようとする、島人たちの素朴な気持ちなのです・・・。