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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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10/5「レモンの日」

美しい夫婦愛を描いた詩集「智恵子抄」。
著者である詩人・高村光太郎は、22歳のときにロダンの彫刻「考える人」を見て感銘を受け、ニューヨークやパリ、ロンドンに渡り、3年もの間、見聞を広めました。
しかし、帰国と同時に、当時の日本の芸術に対する古い価値観に落胆し、彫刻家の父親ともことごとく衝突。
そんなとき、女流洋画家だった智恵子と出会ったことで、彼の人生は一変します。

「私はこの世で智恵子にめぐり会ったため、彼女の純愛によって心が清められ、以前の退廃生活から救い出された」と語り、二人は間もなく結婚。
けっして裕福とはいえない暮らしでしたが、智恵子は一切愚痴をこぼさず、光太郎が生み出す作品をいつも心待ちにしていました。

ところが、やがて智恵子は精神の病を患い、その症状はどんどん悪化。
それでも光太郎は変わりゆく智恵子を大きな愛でいたわり、7年もの間、看病を続けました。
そして1938年10月5日のこと。
光太郎は、智恵子が大好物のレモンを苦労して買い求め、それを食べさせると、彼女は一瞬だけ正常な意識に戻った後、静かに息を引き取りました。

その後、光太郎は自分の作品を、愛情をもって見守ってくれる智恵子の存在が一番の心の支えだったことを実感。
一度は創作意欲を失った光太郎でしたが、「一人の人に分かってもらえれば、万人に通じる」という信念を奮い立たせ、亡き妻・智恵子に問いかけるように筆を進めながら書き上げたのが、「智恵子抄」だったのです。

智恵子抄に収められた「レモン哀歌」という詩の中で、光太郎が智恵子の遺影の前にそっと彼女の大好きなレモンを置いたことから、彼女の命日にあたる今日、10月5日は「レモンの日」に制定されています。