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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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12/23 放送分 「東京タワー生みの親」

街中がイルミネーションで輝いている季節。いま、冬バージョンの温かいオレンジ色で東京の夜空に一際高くライトアップされているのが、東京タワーです。東京タワーが完成したのは昭和33年。暮れの23日に完工式が行なわれました。つまり、今日12月23日は、東京タワー49歳の誕生日なのです。

その東京タワーの生みの親は、前田久吉(ひさきち)という明治生まれの実業家。彼は新聞配達から身を起こし、やがていくつもの新聞社を経営するまでになった人一倍の努力家です。
タワーの用地買収から設計、建設、安全対策まで指揮をとり、プロジェクトを進めてきた前田久吉。東京タワーが完成したとき、彼は65歳になっていました。

その当時、エッフェル塔を抜く世界一の高さのタワー建設という大事業は、実業家として歩んできた前田の、人生の総決算として輝かしいものでした。
しかし、実はその直後、彼はもうひとつの事業を始めています。
それは千葉県・南房総の、とある山村。ここはいくら井戸を掘っても水は出ず、昔から「水なし村」と呼ばれていました。
村びとたちは、時おり降る雨を水桶に溜めるという暮らしぶりで、雨が降らなければ顔も洗えず、風呂にも入れない暮らし。それを村人たちは「水なし村」の宿命として先祖代々続けていたのです。
この地に乗り込んだ前田は、自ら先頭に立ち、水源を求めて何年も山野を歩きます。やがて、山向こうの隣町に良質で豊富な水源を発見すると、私費を投じてパイプを引き、山を越えて村に新鮮な水を送ることに成功。それは東京タワーが完成して13年後・・・。前田久吉78歳のときでした。

戦後日本の復興を象徴するように空高くそびえる東京タワー。その隣の千葉県で地べたを見ながら歩き回り、ひとつの村に水という夢をもたらせたこと。そのどちらもが、前田久吉という実業家人生の総決算なのです。