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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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12/17放送分 「飛行機開発者 二宮忠八」

今から103年前、1903年の今日、アメリカのライト兄弟が人類初の飛行実験に成功しました。全長6.4メートル、幅12.3メートルの「ライトフライヤー」の初フライトは、12秒で36.6メートルを達成。
この成果は、ライト兄弟の名を、全世界に知れ渡らせることになりました。

しかし、この2ヶ月前、日本の四国に、人が乗れる機体を完成させていた人がいました。明治時代の技術者、二宮忠八(にのみやちゅうはち)です。「人が乗れる飛行機を作りたい。妻を乗せて一緒に大空を飛びたい」という夢を胸に、たったひとりで開発に取り組んでいました。
ある日、忠八は飛んでいるカラスを見て、羽ばたいていないことに気付き、向かってくる風を翼で受けとめられれば、空を飛べるのではないかと考え、模型飛行機を作成。そしてライト兄弟に先駆けて、人が乗れる機体を完成させました。あとは、エンジンを載せるだけ。ところが当時の日本は、「空を飛ぶ機械」など夢物語で理解されず、資金は自分の収入だけ。エンジンの資金のめどがたたず飛行実験に漕ぎつけることができませんでした。それから間もなくライト兄弟のニュースを耳にした忠八は男泣きしたそうです。以来、彼は飛行機の開発から一切身を引いてしまいました。

その一方で、その後忠八の研究は広く紹介されるようになり、昭和39年、英国王室航空協会に、忠八が開発した人が乗れる「玉虫型模型飛行機」が展示されました。そして、平成3年、その機体にエンジンを載せ飛行実験をしたところ、200メートルの距離を記録。ライト兄弟が、36.6メートルの距離だったので、当時エンジンを載せることができていれば、歴史は変っていたかもしれません。

夢に向かってたった一人で挑戦し、人一倍空への想いを寄せていた二宮忠八。心に刻んでおきたい人物です。