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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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11/12放送分 「日本初の女子留学生」

今から135年前、明治4年の今日。岩倉具視率いる使節団が、横浜港からアメリカを目指し出発しました。この船には5人の少女が乗っていました。
まだあどけなさを残した彼女たちは、日本で最初の女子留学生です。
ワシントンに着いた一行は大歓迎を受けます。その一方で、着物姿の日本人少女たちは好気の目にさらされ、あちこちに引っ張り回されて見せ物扱いされたり、中傷の言葉を浴びせられたりもしました。
少女たちの中には中途帰国してしまう子もいましたが、予定の滞在を遥かに超えて11年間アメリカに留まり、留学生としての使命をまっとうした少女がいました。渡米当時6歳という最年少の津田梅子でした。
彼女を支えたのは、梅子を11年間ホームステイさせ、わが子のように可愛がったランマン夫妻の存在。子どもがいない夫妻にとって、東洋からひとりぼっちでやってきた少女は、天から授かった娘でした。
梅子も、この家では天真爛漫に、のびのびと暮らすことが出来ました。
ランマン夫人は、日本に住む梅子の母親と頻繁に手紙のやり取りを続けました。これは、娘と離れて暮らす母の心配を思いはかっての気遣いなのです。ランマン家に暮らす梅子の様子を丹念にしたためた英文の手紙は愛情にあふれ、梅子の母親の心をどんなにか安らかにしたことでしょう。
やがて、17歳になった梅子が帰国するとき。ランマン氏は別れの言葉として梅子のことをこう書き残しています。
「日出ずる国から訪れた太陽の光であり、我が家を明るくしてくれた」

日本初の女子留学生として6歳で渡米した津田梅子。彼女はその後、女子教育の先駆者として明治日本の近代化に貢献し、「女子英学塾」を創設。その死後、この塾は彼女の名を冠した大学へと発展していきました。