大島紬を始め、芭蕉布、花織、芙蓉布など鹿児島の工芸染織と草木染を研究する工芸染織作家『越間巽大島紬工房』の越間巽さん。奄美大島で絹織物を生業とする家に生まれ、大島紬染織指導所、京都市立染織試験場などで工芸染織を学んだ後、1977年に鹿児島市で独立。以来、全国各地の百貨店の美術画廊で作品展を開催するなど、独自の創作活動を展開する。
「鹿児島県を代表する伝統工芸品である大島紬が、現在のようなブランドとなったのは、ここ100年から200年の間なんですが、その起源を遡ると1300年もの日本最古の歴史があるんですよ。また南北600Kmもある鹿児島には、様々な植物が自生しているで、そこから生まれる天然染料も本当に多彩なんですよね。ですから私は、そんな長い年月を経て鹿児島の風土の中で育まれてきた技法や色を、原点から学び直すことから始めました。そして大島紬はビジネスの世界で注目されて以来、規格商品となってしまったのですが、私は京都で学んでいた時の先生から『昔の職人は皆クリエイターだったでしょう。君は君の世界を作りなさい』と言われて創作に目覚め、美術画廊を中心に作品展を開くようになっていったんですよ」。そうして越間さんは、分業化が進む業界の中で、染織に関わるすべての工程を自ら手掛ける他、着物のみならず、帯、帯締め、帯揚げまで、和装に関わるすべてのモノを自らの手で仕上げるなど、それぞれの客の人格や人柄をも引き立たせる、唯一無二の作品を創作するようになっていったという。
「ファッションの基本はトータルの美しさですからね。ですから私はトータルで、すべてのモノを自分の手で作って差し上げるという考え方なんですよ。着物というのは少し襟の抜き方が変わるだけでも、その人の人格が分かるんです。また、どのような着物を選ばれるかで、その人のお人柄も分かるんです。そんな人格やお人柄を引き立たせることが私の仕事ですから、トータルで関わらなければ、お客様を美しく彩ることは難しいと思うんですよね。例えば着物だけ、どんな凄い作家が、どんな凄い材料で、どんな凄い技法で作ったとしても、トータルで美しくなければ意味がありません。私は着物だけ一人歩きさせるのではなく、トータルの着姿で完成させたいという気持ちを強くもっていますからね」。ブランドを表示するラベルは最低基準をクリアしているだけであって、本当のファッションはブランドで語られるモノではないと、それぞれの客の雰囲気に合わせたオンリーワンのファッションを提供する越間さんの仕事は、もちろん多くの日本人を美しく彩っていた。
「昔、あるお客様に、『アナタが枯れていくのを見たい』と言われたことがあるんですよ。私にも自分の力を見せつけてやりたいと、目一杯チャレンジしていた若い時代があったんですが、仕事は手間暇、手数が入れば良いという訳ではないことに、徐々に気付いていったんですよね。日本には“侘び寂び”という言葉がありますが、糸にも個性があって、それぞれ味があるように、そのような多様な個性、価値観を大事にする部分にこそ、日本の美の真髄があるのではないかと。もちろん雅な完璧な世界も大事ですが、もう一方で“侘び寂び”に通じる余白のある世界も大事にしながら、ロットで作るのではなく、それぞれお客様に合わせて作っていくことが、私の仕事だと思っています」。そんな越間さんは自らの感性を磨く為に、より良いモノを見ることを大事にしているという。
「“百聞は一見にしかず”という故事がありますが、良いモノ、レベルが高いモノをたくさん見続けることで、より自分自身の感性が磨かれていくと思います。ただその場合、昔ながらのモノが必ずしも良い訳ではありません。ファッションの基本は憧れとトキメキだと思うんですが、やはり今の自分が憧れるモノやトキメクものを見ることが大事ですよね」。そんな越間さんの座右の銘は『原点回帰』だという。
「大島紬を始めた頃もそうでしたが、やはりいつでもどこでも原点回帰が私の基本ですね。今でも仕事で迷った時は、昔はどうだったのか?本当はどうだったのか?と、何度も原点回帰していますよ」。その昔、『憧れの大島紬』と呼ばれた大島紬。そんな人々が憧れる、トキメク、究極のファッションを追求する越間さんの仕事に終わりはない。
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