匠の蔵~words of meister~の放送

源太窯【星野焼 福岡】 匠:山本源太さん
2012年02月11日(土)オンエア
星野川の清流が山あいを走り、棚田や茶畑が広がる里山の風景が美しい八女市星野村で、80年間途絶えていた「星野焼」を再興した「源太窯」の陶工、山本源太さん。山本さんは陶器を製作する傍ら、詩集「蛇苺」、エッセー集「土泥棒」を出版するなど、幅広い芸術分野で才能を発揮する。「江戸時代には、久留米藩有馬氏の御用窯であった星野焼は、お茶の産地という土地柄、茶壷や茶具などの名品が数多く生み出され隆盛を極めていたのですが、明治27年に廃窯となりました。以降80年もの間、空白の時が流れていたのですが、昭和44年に師匠である詩人、丸山豊先生の勧めで、当時小石原で作陶をしていた自分が星野焼の復興の為に、この地で開窯したんです」。そうして、山本さんは、地元で採れる酸化鉄を用い、様々な色の釉薬を使用。試行錯誤を重ね約30年、ついに酒や湯茶を汲めば金色に輝くという幻の「星野焼」伝統の夕日色の再現に成功したという。「10代の頃は人間関係に絶望し、何も見えなくなっていたんですよね。しかし、20歳になろうかという時、盲腸で入院した病院の床の間に飾られてあった壷に心を奪われ、陶工になろうと決意をしました。どうということのない陶器の壷なのに、優しく美しく、何故か人と人との関係を繋ぐ共通の感動は、芸術だという思いを強くしたんですよね。そうして、私は父母の反対を押し切り、鳥取県の実家を飛び出したという訳です」。それから半世紀、一心不乱に向き合ってきた芸術は、山本さんに多くの人と人との繋がりをもたらしたという。「自分に道を示してくれて静かに見守ってくれた丸山先生との関係、星野村の村の人々との関係、そして、この地で新しく生まれた家族との関係、今思えば、一度は捨てた故郷と家族を、この星野焼が取り戻してくれたような気がします」。そんな山本さんは、「惑星を焼く男」との異名を持ち、天体をモチーフにした幻想的かつ斬新なデザインの陶器も製作するなど、そのモノ作りの姿勢は、実に自由闊達である。「自分の中にある美しいモノと、生活の中にある美しいモノとを分けるのではなく、そのすべての中にある美しいモノのキラメキを拾っていくというような作り方を、結果的にしてきたのかなと思います。やはり何事も全体を意識するというか、多面的に捉える力がないと高みには到達できないと思うんですよね。ですから、よく失敗作を割るなんて話も聞きますが、それは私には理解できません。例え失敗作だと言われる作品も自分の作品だし、必ずどこかにキラメキがあると思うんですよね。それはレシピも何も残っていなかった為、様々な可能性を排除せずに挑み続けた結果、再興することに成功した星野焼が教えてくれました」。ストイックを履き違え、自分が作った枠の中の最高を求める人は、それ以外のモノを捨てればイイ。しかし、その枠を超えようとするのであれば、やはり、すべてを受け入れる覚悟を持って歩み続けるしかない。それは、すべての可能性を排除することなく、先人たちの技術を現代に甦らせることに成功した山本さんならではの言葉だった。

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